■モハ2000形/モニ2000形
相鉄の半世紀を支えた幸せの黄色いアイツです。
さなえファインテックでは原形のモハ2000形と改造後のモニ2000形を保有しています。
改造についての記事はこちら→モハ2000形は塗り直し後にさらに増車しています。
モハ2000形などのこの時期の車両には、形式を問わずPS13型パンタグラフが搭載されていたようです。
戦時設計で、台枠を鋼板で作っていたり手間になる斜めへの筋交いを廃したりして、できるかぎり簡素に作られた型です。戦時中や戦後に作られた電車や電気機関車にもれなく採用され、のちの新性能化とともに徐々に姿を消していきました。
相鉄では銀色のほかにも黒色のPS13型も用いられていたようです。特にモニ2000形として最後まで残った検測車編成では3両のうち、架線の観測窓をつけた2023のみ黒色の物が採用されていました。
もともと国電で多用されていたのは黒色だったようですが、当時の私鉄では銀色(灰色)を使っていたようです。TOMIXが黒、GMが銀を製品化しているので使い分けました。
そしてモニ2000形で忘れてはいけないのがシングルアームパンタ試験車です。1994年頃、観測窓付きの2023に搭載されました。これ以降の8000系や9000系などの車両にはシングルアームパンタが採用されるようになりました。旧国由来のリベットボディにシングルアームという組み合わせは実にフリーランス車両臭くて楽しいです。GMのPT71Dあたりが適合します。
モハ2000形もモニ2000形と同様のようですが、うちにいるモハ2000形4両はさなえファインテックでの改造車であり、プロトタイプを指定していないフリータイプモデルなので詳しいところはわかりません。とりあえず工場にころがっていたPS13型の黒と銀をそれぞれ搭載させています。
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■5000系
相鉄初の自社発注新造車両です。
日本初のボディマウント式床下機器や断流ヒューズなどを採用し、それまでの地味な相鉄からの著しい成長を内外に見せつけ、カタチを変えながら半世紀以上第一線で活躍しました。
相鉄初や日本初を大量に備えた革新的な車両でしたが、集電装置に変化はなく2000形などと同様にPS13型が搭載されていたようです。ただ各所で写真を見ていくと、筋交いが上半分にしか張られていない貧弱そうなパンタを載せている写真もあります。あれは何型なんでしょうか・・・
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■6000系
20m大型車両化、のちの冷房搭載、アルミボディ試作、当時私鉄最大の車幅などを相鉄では初めて採用し、昨今の相鉄車両の礎となった形式です。さまざまな形態がありました。
特に新6000系はその後の相鉄標準仕様になりました。
いわゆる『新・旧』6000系がありますが、搭載しているパンタグラフには違いはないようです。ざっくり分けると、登場時はPS13型銀色で晩年はPS16系だったようです。
さなえファインテックの6000系は在庫の都合でTOMIXのPS16P型を搭載しています。5000系と並べる上ではPS13型で無いといけませんがそこは割りきっています。
こちらはゲスト出演の横浜西部急行所属車両。マイクロエース製のアルミ試作車と標準の若草色ですが、どちらもマイクロエース純正のPS13型銀色を装備しています。
当時の相鉄では7000系あたり(70年代?)まで新製車にはPS13型が採用されていたらしく、このあともしばらく採用が続きました。一方の国鉄では60年代登場の103系時点でもうすでにPS16系が使われていました。
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■ED10形
相鉄の稼ぎ頭のひとつ、貨物輸送を担った美しい東洋電機スタイルの元祖です。
重連でないと少々非力だったことなどのエピソードはいくつかあったようですが、貨物輸送や旅客車の牽引、入換にと5000系同様半世紀以上にわたって活躍しました。
東洋電機製造での新製とはいえ機器類は在来車両の流用だったようで、旅客車と同じくPS13型の銀色を搭載しています。ちなみに運用時は進行方向後ろ側のパンタグラフのみ上昇させて使用していたようです。
マイクロエースのPS13型はすこし小ぶりなのが特徴で、なんとなく印象が他社とは異なって見えます。立ち上がりはシッカリとしているのでそこは安心できます。
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